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酒蔵探訪 20 2006年12月

「末廣」 末廣酒造株式会社


大沼郡会津美里町字宮里81
Tel.0242-54-7788 / Fax.0242-54-4548
https://www.sake-suehiro.jp/

▲嘉永蔵

▲七代目 新城猪之吉氏

 2006年10月28日、末廣酒造の七代目・新城猪之吉氏の襲名披露が行われた。創業嘉永3(1850)年。150余年積み重ねてきた蔵の歴史に、新たなページが刻まれることとなった。

 末廣酒造は江戸時代末期、会津藩の御用酒蔵だった新城家より初代・猪之吉が分家独立して酒造りを始めた。創業時は「大喜界」などの銘柄も用いていたそうだが、間もなく「末廣」の名が生まれ、以来今日まで広く愛されている。

 末廣酒造の歴史を紐解いた時に、注目すべきことがいくつかある。その一つが三代目猪之吉氏による杜氏の導入である。それまで会津の酒蔵は家人と雇人で酒造りを行っていたが、そこに山形から杜氏を迎え、酒質の向上と安定を図ろうとしたのである。「実は、会津で外から杜氏を迎えたのは三代目が初めてではないんです」と七代目・猪之吉氏。「最初は蒲生氏郷、次に田中玄宰、いずれも会津に産業としての酒造りを定着させようと灘などから杜氏を連れてきて酒造りを教えたのです」さらに三代目は会津の外にも販路を見出そうと力を注ぎ、本宮や郡山、そして東京へと進出。明治40年代には会津で一、二の生産量を誇る蔵となった。

 その後も四代目が酒質の改良に力を注ぎ、アメリカ産精米機の輸入や丹波杜氏の招聘による灘式醸法の採用などを行い、「末廣」は宮内省御用達や、各種品評会での入賞と、“酒どころ会津”を全国に知らしめる。

 五代目、六代目へと時代は移り、末廣酒造は敢えて酒造りの原点にこだわった酒造りを行うようになる。今でこそ原料米の契約栽培を行う蔵も多いが、末廣酒造はいち早く会津200軒の農家と契約し、完全無農薬米や有機栽培米の栽培に取り組んだ。「もちろん水がいいことは大前提にあります。酒造りは米づくりと言っても過言ではありません」と、七代目。「亀の尾」や「京の華」などの栽培も含め、品質や栽培法など米へのこだわりは今もなお続いている。

▲博士蔵内部

 今年の新酒鑑評会で、福島県は全国一の金賞数に輝いた。実はその陰には、県内30社ほどの蔵元が参加する「高品質清酒研究会」での研鑽が大きく貢献している。そして、この研究会のもととなったのが、「五社会」である。当時連続して新酒鑑評会に入賞していた末廣酒造を中心に五蔵元で作られた研究会である。会津清酒全体のレベルアップのために、時に先駆けとなり、時に縁の下の力持ちとなる。末廣酒造の酒造りは、常に地元とともにある。

 平成8年、末廣酒造は会津高田町(現・会津美里町)に博士蔵を建設し、本社・工場として稼動させる。「新工場建設には、水の良い場所をと各地を探しました」と七代目。大川と宮川に挟まれた博士蔵には、地元の名峰・博士山の伏流水が湧き、ここに水を汲みにくる人も多い。新工場は『省力化』が図られている。広く機能的なラインはコンピュータで制御され、徹底した温度管理などが可能となった。

 一方、博士蔵の稼動とともに、明治・大正時代の面影残る嘉永蔵では逆に100%手作りによる酒造りに、その機能を特化した。特別限定酒など、嘉永蔵だけでしか入手できない商品もある。また、昔の酒造りの展示や野口英世にも縁のある大広間は見学でき、末廣クラシックカメラ館、蔵喫茶・杏、酒蔵イベントホールなどとともに観光客の人気を得ている。

 末廣酒造では、その商品アイテム数の多さにも驚かされる。「基本的に酒は食を楽しむものだと思います。食前酒からデザートまで、さまざまな食の場面でおいしいお酒を楽しんでいただければと思います」確かに、にごり酒やそばの酒、長期熟成酒など、バリエーション豊かな商品は、料理との相性を考えて造られているのだ。最近では独自のお燗名人育成講座も行っている。

(左から)
・末廣 生酒
・伝承山廃純米末廣
・大吟醸 玄宰

 そんな中でやはり末廣酒造の一押しは大吟醸「玄宰」だろうか。田中玄宰の名を冠した重厚かつ気品ある味わいは、会津の酒を代表するに相応しい。また、大正時代に全国に先駆けて造られた山廃造りを伝承する「山廃純米」、独自の限外濾過を施した「生酒」も、末廣を代表する酒だ。

 七代目・猪之吉氏の座右の銘は「不易流行」。原点を大切に守り、新しい取り組みも積極的に行う。この姿勢こそ、末廣酒造の酒造りそのものなのかもしれない。

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