酒蔵探訪 27 2007年07月
「辰泉」 合資会社辰泉酒造
会津若松市上町5番26号
Tel.0242-22-0504/Fax.0242-22-0503
https://www.tatsuizumi.com/
▲辰泉酒造蔵
会津若松市博労町。「博労」と呼ばれる牛馬売買の仲介をする者が多く住んでいたというこの町は、古くから看板を掲げる薬屋や造り酒屋が残る場所である。現在は上町と名前を変えた博労町に、辰泉酒造が創業したのは明治10年のことである。市内にある本家から分家創業したもので、初代龍三氏が兵庫県の辰馬酒造に修行に行った縁から「辰泉」の名が生まれたという。
辰泉の酒造りは、「手造り」の酒造りである。しかし、頑なにこだわるというよりも、一本ずつ目と手をかけてていねいに造るためには、結果として昔ながらの手造りが一番相応しかったという。大量生産、大量販売方式は避け、創業以来変わらぬ手法で酒造りを行う。「大量生産になると、どうしても細かいところに目が届かなくなる。目が届く範囲でていねいに仕込んでいきたいと考えています」と言うのは、常務の新城壮一氏。父親である新次社長とともに辰泉の酒造りを守る。
▲新城壮一常務
▲蔵の内部
そんな辰泉の酒造りを象徴しているのが酒米「京の華」復活の話ではないだろうか。「京の華」という酒米は、「亀の尾」直系の酒造米「酒の華」と兵庫県の酒造米「新山田穂」を交配し、大正時代末期に山形県庄内地方で生まれた。会津地方でも土地にあった酒造米として栽培され、この米が会津清酒成長の原動力となったとも言われる。しかし第二次大戦後、大量生産と効率化を求める風潮の中、栽培が難しく、生産性が低い「京の華」は徐々に姿を消していった。
「先輩たちが育てた会津の米と酒を復活し、伝えていきたい」と、新次社長は昭和55年、福島県農業試験場にわずかに保存されていた「京の華」の種籾を見つけ、その栽培に取り組んだ。しかし、「京の華」は一般的な稲に比べ草丈が高いため、倒れやすい。新次社長は地元の農家の協力を仰ぎ、あきらめることなく栽培を続けた。200gの種籾から酒が造れるほどの収穫を得ることができたのは昭和58年のことだった。
「京の華」は、酒造りの段階でも苦労を要したという。大粒で芯白が大きいこと、さらに溶けやすく味や甘みも出やすいという長所はまた、精米の難しさや、いかに味を逃がさないようにするかといった醸造の難しさも孕んでいた。社長と杜氏の試行錯誤の結果、誕生した純米大吟醸「京の華」は、さわやかな香りとスッキリした口当たりの中に、まろやかな深みのある米の旨み、そしてトロリとした余韻を残す納得の酒となった。
現在も酒米「京の華」は地元で契約栽培を行い、辰泉を代表する酒を醸しているが、辰泉では他の酒米にもこだわる。福島県産酒造好適米の「夢の香」や青森産「花吹雪」、さらに地元産「コシヒカリ」などを使い分ける。また、水は磐梯飯豊の山麓の自然湧水と井戸水。いい原料を手造りでていねいに醸す。
▲京の華/会津流/成志
「会津流」は、「京の華」と「コシヒカリ」を原料とする。食米である「コシヒカリ」を加えることで、よりしっかりした味になるという。純米酒らしい深い味わいで、人気コミック「美味しんぼ」にも登場した。
さらに、無濾過純米吟醸「成志」は杜氏、春山成志氏が30年にわたる酒造りの中で生み出した納得の酒。コシヒカリを原料に、度数は高めながらすっと飲める、きれいでしかも存在感のある酒だという。
辰泉では粕取焼酎も人気商品。こちらも昔ながらの製法に則り、穏かな香りのさらっとした焼酎に仕上げる。
その他精白60%、辛口の吟醸「通の酒」、「古代米の酒(あかい酒)」、梅酒を漬けるための日本酒「会津香梅」など、特徴ある商品も多い。
「まずは、京の華のおいしさを全国に広めたい」と、常務。「一口で会津の酒といっても、味も造り方も蔵によって違います。辰泉らしい会津の酒が造っていけたらと考えています」酒米「京の華」の復活や、手造りにこだわる酒造り。すべては飲む人に感動を与える酒を醸すためだ。
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