酒蔵探訪 29 2007年09月
「自然郷」
合名会社大木代吉本店
西白河郡矢吹町本町9
Tel.0248-42-2161/Fax.0248-42-2162
https://www.daikichi-sizengo.co.jp/
▲酒づくりには、蔵人の惜しみない手間がかけられる
西白河郡矢吹町。旧四号国道沿いの商店街に、旧家らしい趣ある外観を呈する大木代吉本店は、慶応元(1865)年の創業である。「明治維新の直前、実に日本が大きく変わる、そんな時代に創業したわけです。店の前の奥州街道も、きっと多くの人が行き交い、歴史の舞台となったのではないでしょうか」そう話すのは、四代目となる大木代吉氏。今に至るまで「楽器正宗」の銘柄は地元に根付き、「楽器さん」と大木家を呼ぶ馴染み客も少なくないという。
そんな大木代吉本店に大きな転機が訪れたのは昭和49(1974)年のこと。当時、日本酒は全国で右肩上がりの成長を見せ、1千万石にも上る勢いだった。ナショナルブランドが大量生産で生産した酒が主流の市場は、大木氏曰く「無個性の酒」ばかりだったという。
▲大木代吉氏
▲大木社長の奥様洋子さん手づくりの料理酒を使った料理の数々
その頃、大木氏は偶然「越の寒梅」を飲む機会を得た。「当時は辛口の酒はあまり評価が高くなく、『越の寒梅』もその後の大ブームなど予想もできない、無名の酒でした。しかし、私はこんな酒があるのかと、ショックを受けました。こんな酒を飲みたい。こんな酒を作りたいと強く思いました」そこで、取り組んだのが端麗辛口の無農薬純米酒「自然郷」である。今でこそ「純米酒」はどこの蔵でも作られているが、当時は「純米酒」という言葉もなかった。当初は「無添加酒」と銘打って発売したという。また、当時は農家と契約して酒米を作ることなど誰もしていなかった時代。大木氏は西郷村の篤農家と出会い、農薬をほとんど用いない米を入手し、米本来の旨みのある酒づくりに挑んだ。長期低温発酵で醸し、さらに半年熟成させるというこの酒は、まさに米の旨みが軟らかに広がる酒。素朴で味わいのあるラベルやわら苞も、この酒の人気獲得の一助となった。
さらに、時代が大木代吉本店に新たな取り組みを促す。平成4年(1992)に行われた日本酒の級別廃止・税制一本化である。さらにその頃からディスカウントストアが登場し、業界全体も大きく変わろうとしていた。そこで、大木氏は「旧2級」に変わる新たな商品の開発を目指す。「素材、つまり米と、製法にこだわることで、ナショナルブランドとの差別化を図らなければ、私共のような蔵は生き残っていけないと思ったのです」誕生したのは本醸造「さわやか」。「自然郷」に次ぐ二本目の柱として定着し、それぞれ季節商品など幅広い商品展開も行われている。
▲こんにちは料理酒/自然郷
そして、三本目の柱として現在大きく躍進しているのが食べる酒「料理酒」である。この料理酒の誕生も小さな偶然と出会いによってもたらされた。「自然郷」、「さわやか」を世に出した後、大木氏は全く逆の酒である濃醇甘口の純米酒を発売した。「女性に受けるかと思ったのですが、これが全然売れない。在庫が山積みの状態でした」と、大木氏。行き場のないその酒を、大木氏の妻、洋子さんが調理に使ったところ、すこぶる評判が良かった。さらに、大木氏が加盟していた「よい食品を作る会」の会員であった新潟の食品メーカー加島屋がアルコール無添加の酒を探しているということで、その純米酒を提案したところ認められ、正式に納品が決定した。加島屋は海産物の加工品などを販売する老舗で、以来ずっと大木代吉本店の料理酒を使っている。
分析してみると、この純米酒はアミノ酸量が通常の酒の数倍もあることがわかった。アミノ酸は、飲む酒においては雑味として嫌われるが、食べ物では旨みの素となる。米の発酵から生まれる天然のアミノ酸、有機酸、ぶどう糖などが、料理の旨みを引き出す働きをする。食の不安が広がる世相を背景に、料理酒は注目を集めるようになり、今では広く全国から注文が入る。
「古くからの日本の醸造文化を守り、日本酒の力、そして魅力を引き出し、伝えていけたら」昨年から、地元の地域活性化にも役立てようと休耕田の活用、里山再生、障害者の自立支援などを目指し、料理酒用の酒米の栽培を始めた。また、「ふくしま産学官連携事業」にも認められ、その補助金を元に大学との共同研究も始まる。大木代吉本店の酒造りは、その可能性を広げ続けている。
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