酒蔵探訪 35 2008年3月
「北冠」 北関酒造株式会社
栃木市田村町480番地
Tel.0282-27-9570 / Fax.0282-27-5517
https://www.hokkansyuzou.co.jp/
▲小田垣俊郎 社長
栃木県栃木市。関東平野の北部、栃木県の中南部に位置するこの地は、市街地の中心部を利根川の支流・巴波(うずま)川が流れ、その舟運によりかつては商都として栄えた。今も往時を思わせる蔵が残り、「蔵の街」としても知られている。
「関東の小京都」とも呼ばれるこの場所で、江戸時代から営まれてきた三つの蔵が、昭和48年に創業したのが「北関酒造株式会社」である。それぞれに重ねてきた歴史と伝統を大切に、時代の流れに沿った、より良い酒づくりを目指して北関酒造は誕生した。お話をうかがったのは小田垣俊郎社長。「ここは、“関東の灘”とも呼ばれ、昔から酒造りが行われてきた場所です。舟運にも恵まれ、また、酒造りに欠かせない水にも恵まれていたからでしょう」
▲本社全景
▲全自動製麹機
設立当初から積極的に醸造工程の省力化などに取り組んできた北関酒造だが、平成元年には「コンピューター管理清酒製造システム」を導入、稼動させた。従来、経験と勘に頼ってきた「麹」造りや「もろみ」造りも機械化、麹のでき具合やもろみの発酵状況などほとんどの工程を24時間、コンピューターによってチェック・管理できるという製造環境が実現している。全自動製麹装置や連続蒸米機、仕込みタンクにもろみ自動圧搾装置、瓶詰機械に貯蔵タンクと、まさに「プラント」と呼ぶにふさわしい設備である。
その生産規模にも驚かされる。一本一千石、一升瓶にして十万本もの容量を持つタンクがずらりと並ぶ。また、圧搾装置も大型のものが何台も設置されている。さすが全国でも屈指の生産量を誇る蔵元だ。そして、現在は通年での醸造が可能で、計画的な生産も行われている。
しかし、このコンピューターによる管理システムが軌道に乗るまでには、苦労も多かったという。北関酒造ではかねてより越後杜氏による造りを行ってきた。「以前は造りの時期になると杜氏を含め20人もの蔵人に来てもらっていましたが、今は杜氏が一人。後は地元の社員が造りを行います」と、小田垣社長。「省力化、合理化を図るために機械化に踏み切りました。一方で、私達は常により高い品質も追い続けています」たとえば、北関酒造では「蒸し米仕込み」にこだわる。「守るべき伝統の技は守り、機械に任せられる作業や機械の方が精度の高い温度管理などを機械化しているのです」コンピュータで制御する機械を駆使し、納得のいく酒質をつくり上げるため、努力を重ね今日に至る。
製造部顧問を務める山崎忠一杜氏は言う。「かつては人の手で米を蒸し、桶で担ぎ上げ、夜通し麹を返したり、樽を冷やしたりしたものです。今ではそれを全部機械がやってくれる。しかも、安定した酒を造れるんです」もちろん、そこには杜氏をはじめとする蔵人の技と経験が活かされていることは言うまでもない。現在は、大吟醸のみを山崎杜氏がその手で仕込む。
(左から)
・北酒場
・男人情屋台酒 甘口
・男人情屋台酒 辛口
・森羅万象 山田錦純米酒
北関酒造の酒は、地元では地酒「北冠」がよく知られている。この名は征夷大将軍・坂上田村麻呂が東征の途中に戦勝祈願のために愛用の冠をこの地に埋めたという言い伝えに由来する。
首都圏をはじめ、全国各地で飲まれる北関酒造の酒だが、兵庫県産山田錦100%の「森羅万象 山田錦 純米酒」は、キレ、コクともに優れた贅沢な酒だ。また、「男人情屋台酒」は日本酒度プラス6の辛口、同マイナス6の甘口の2種がある。酒の好みもいろいろ、幅広いニーズに応えたいという蔵の思いから生まれた。さらに、やや辛めの旨口の酒「北酒場」は、飲みやすいと人気だ。
「製造、流通、販売、日本酒は激変の時代といえます。そんな中で、大切なのは足元を固めることだと思います」と、小田垣社長は言う。「しっかりした体制を作り、時代の流れに対応していきたいですね」と前を見据える。「今後は新商品開発にも取り組んでいきたいと思っています。いろんなアイデアもあるんですよ」
省力化や機械化は、ともすれば伝統の技や味を失ってしまうことにもつながりかねない。しかし北関酒造は、酒造りへの確固たる思いを持ち、「伝統」と「先進」の二つのバランスをとりながら前進を続ける。
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