酒蔵探訪 48 2009年04月
「越の初梅」
高の井酒造株式会社
新潟県小千谷市東栄3丁目7番67号
Tel.0258‐83‐3450 / Fax.0258‐83‐4495
https://hatsuume.co.jp/
▲山崎亮太郎 常務
新潟県小千谷市。新潟県のほぼ中央、越後平野の南端に位置するこの地は、信濃川に寄り添うように栄えてきた。江戸時代には幕府の天領地として長岡藩が預かり地として管理していたという歴史を持つ。戊辰戦争の際、長岡藩家老・河井継之助が新政府軍の岩村精一郎と会談を行った「小千谷談判」でこの名を知る人も多いだろう。 〝米どころ魚沼〟の一翼を担い、さらには小千谷縮、錦鯉の養殖も有名である。あるいは2004年10月の新潟県中越地震の被害を伝える報道で、小千谷を記憶している人もいるかもしれない。
そんな小千谷の駅から間もない場所に、高の井酒造は蔵を構える。その前身である山﨑酒造場は江戸時代後期より酒造業を営んでいたという。しかし昭和12年、「五辺の大火」と呼ばれる火災によって付近は全焼。山﨑酒造場も1,300石の酒とともに焼失した。その再建時に鉄道の時代を見越して現在地に移転したものの戦時下の企業整備によって廃業、昭和30年になり酒造りを復活、「高の井酒造」が創立された。山﨑酒造場の焼失前の所在地である高梨の「高」、そして米とともに酒造りの命脈をなす「井戸」の「井」をとって「高の井」という名がつけられた。
▲高の井酒造外観
▲機械化を進めながらも昔ながらの技法を守る
一方、代表銘柄「越の初梅」についてその由来を伺うと、戦国の名将・上杉謙信にあやかったものだという。酒好きで知られる謙信は、直径12センチもある大杯で梅干を肴に酒を飲んでいたとか。「梅」の名を持つ酒が新潟に多いのは、どうやら謙信に由来するようだ。
「地域の特性を生かした酒造りを目指しています」と話してくださったのは、山﨑亮太郎常務。和田一徳杜氏をはじめ地元の蔵人がその技を駆使し、丁寧な酒造りを続ける。平成4年には新工場を設立し、ビン詰めラインや自動精米機も導入、さらに平成7年には製麹室と酒母室を新設するなど機械化も進めながら、昔ながらの手作りの良さも大切にする。「実際にもろみの様子を見て判断するなど、人の手、人の目でなければできない仕事もあります。機械化はあくまでも人の技を補い、その技をより生かすものでなければならないと思っています」
魚沼は昼夜の寒暖の差が大きく、それによってひきしまった良質の米ができると言われる。高の井酒造が使う酒米は、もちろんこの地元魚沼の農家との契約栽培で作られている。生産者が明らかで安心安全、そして質の高い米は、やはり何よりも高の井酒造の自慢だ。
ここはまた、全国有数の豪雪地帯でもある。多い時には4メートルもの積雪がある。しかし、この雪は酒造りに適した環境を生む。雪融けによる清冽な軟水は、端麗辛口の酒を醸すのに最適な恵みの水となる。また、雪に覆われた酒蔵は安定した低温を保つことができ、しかも湿度も高い。酒の穏やかな発酵を促してくれるのだ。
雪国では「克雪」、いかに雪を克服するかを求められるが、高の井酒造ではさらに「利雪」、雪を活用することに積極的に取り組んできた。その最たる例が「雪中貯蔵酒」だ。昭和62年から始めた雪中貯蔵は、全国で初めてということでも注目された。タンクごと雪で覆い100日間保存した酒は、ほんのり琥珀色を帯び、角がとれたまろやかな味わいになるという。
「消費者のニーズに合った商品開発を進めていきたい」という思いから誕生した酒の一つが「ハチカラ」と呼ばれる「越の初梅 辛口本醸造」だ。ヘビーユーザーを意識したこの酒は、辛口の中にもほんのり旨みを感じる飲み飽きしない味が特徴。
また、新潟県が開発した酒造好適米「越淡麗(こしたんれい)」を用いたその名も「越の初梅 越淡麗吟醸」は、上品でやわらかな味わい。越淡麗は、五百万石と山田錦を掛け合わせた、まさに究極の酒米として広く注目されている。
(左から)
・越淡麗吟醸
・越の初梅 辛口本醸造
・雪中酒純米吟醸
これからはより消費者目線での酒造りを進めたいと、山﨑常務。「情報発信も積極的に行いながら、お客様に満足していただくために、スピードと行動力をもって提案営業を行っていきたいと思います」
新潟県中越地震では、高の井酒造も甚大な損害を被った。しかし、酒造りへの前向きな思いがその被害をも克服した。豪雪をも味方につける越後ならではの強さが、〝凛とした酒〟を醸すのかもしれない。
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