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酒蔵探訪 54 2009年10月

「本格焼酎 霧島」
 霧島酒造株式会社


宮崎県都城市下川東4丁目28―1
Tel.0986-22-2323 / Fax.0986-25-8474
https://www.kirishima.co.jp/

▲江夏順行社長

 霧島は九州南部の宮崎県と鹿児島県の県境に連なる火山群である。その名の通り、周囲は霧が深い地域で、特に霧が立ち込めた都城盆地から霧島連山の一座である高千穂峰を望んだ時には、霧の中に浮かぶ島のように見えるという。

 そんな都城盆地に「霧島酒造」は、大正5年に創業した。創業者である江夏吉助は、明治時代の終わりに味噌・醤油を製造する本家より明治の末に分家、食品の販売を始めた。鹿児島から焼酎を仕入れて販売したところ、好評だったことから、大正5年に「川東江夏商店」として焼酎の製造を開始したという。戦後、昭和24年に「霧島酒造株式会社」と組織を改め、二代目・江夏順吉氏が社長に就任。平成8年に就任した江夏順行社長は三代目となる。

 霧島酒造の90年を超える歴史を振り返った時に、「霧島」のネーミングと霧島裂罅水を掘り当てたことは、その発展に大きく寄与したという。霧島は天孫降臨の霊峰として古くからあがめられてきた山で、郷土のシンボルである。その名を銘柄、そして社名に用いることで、その知名度に貢献したことは言うまでもない。

▲志比田工場

▲焼酎粕リサイクルプラント

 そして、水量豊富な都城の中でも特に良質と言われる水といわれる「霧島裂罅水」。霧島に降った雨がシラス層や火山灰土壌などを浸透し、長い年月をかけて地下深くに蓄えられた水だ。この水こそが、「霧島」のおいしさの源泉となっているのだ。

 ところで、「本格焼酎」という呼び方を初めて使ったのは、江夏順吉前社長だという。以前は「甲類」「乙類」と酒税法上の区別しかなかったが、昭和32年前社長は九州旧式焼酎協議会で「本格焼酎」という呼び名を提唱。その後昭和37年には大蔵省令により、法的に表示が認められ、他者の銘柄も「本格焼酎」と表示するようになったのだそうだ。

 現在、霧島酒造では本社工場、志比田工場の2ヵ所で焼酎の製造を行っている。2つの工場から生まれる焼酎は、実に多彩だ。「最高の素材をもって最高の味わいが生まれる」との商品哲学によって採用される、南九州の肥沃な大地で栽培されたさつまいも「黄金千貫」は、霧島裂罅水とともに「霧島」には欠かせない。

 本格焼酎「霧島」は、この10月にリニューアルを果たした。従来の米麹を使った芋焼酎に、芋麹で造った芋麹焼酎をブレンドした。独自の芋麹の原酒をブレンドすることで、芋本来のどしっとしたコクとほわんとした香りが楽しめる。より「芋らしい」味わいが実現したのだ。

 また、大正5年の初蔵出しされた焼酎は「黒麹」仕込みだったそうで、霧島酒造の歴史は黒麹から始まったともいえる。そんな創業当時の味わいを現在の最新鋭の設備と仕込みで再現したのが「黒霧島」。黒麹の醸すトロリとした甘み、キリッとしたキレにファンも多い。

 さらに創業者の名を冠した「吉助」は、独自の技術で開発した芋麹を用い、芋本来の味わいを引き立たせた。純粋さ(GENUINE)、穏やかさ(GENTLE)、優美さ(GRACEFUL)の3つの「G」が融合した「Gテイスト」、新感覚の芋焼酎として注目される。

 霧島酒造では、2006年に国内最大級となる焼酎粕処理設備を導入した。この設備を使ったリサイクルシステムは平成19年度の第12回新エネルギー財団会長賞」を受賞している。他にも液化天然ガスの採用やアイドリングストップ運動や物流での取り組みなど、環境への取り組みも積極的に行っている。

(左から)
・吉助(黒)
・吉助(白)
・黒霧島
・霧島GTB

 平成12年、志比田工場敷地内に誕生した「霧島ファクトリーガーデン」は、地ビール醸造施設やレストラン、創業記念館、ホールやミュージアム、グラウンドゴルフコースなど多彩な施設が融合したガーデンパークとなっている。

 90余年に渡り、「霧島」はその味と技を磨き続けてきた。そして、今その挑戦はグローバルな視野とともに地域文化への貢献、環境などさまざまな方面に広がり、さらに大きな展開が期待されている。

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