酒蔵探訪 55 2009年11月
「大分むぎ焼酎 二階堂」
二階堂酒造有限会社
大分県速見郡日出町川崎837-13
Tel.0977-72-2324
https://nikaido-shuzo.co.jp/
▲二階堂酒造外観
二階堂酒造のある大分県日出町は、県の中北部、国東半島の付け根に位置する町。西日本最大と言われる縄文時代早期の遺跡や古墳時代の古墳も多数残され、その後も各時代にさまざまな歴史と文化を積み重ねてきた。
ここはまた、緑の山々と別府湾に抱かれた酒造りの理想郷。ここには「麻地酒(あさじざけ)」と呼ばれる伝統の銘酒が江戸時代より伝わる。寛文年間にこの地の古刹・康徳山の松屋寺の小僧が、寺の甘酒を盗み麻畑に埋めておいたところ味が一変、美酒となったという。その製法を用いた酒は藩で造られるようになり、明治まで将軍献上品として尊ばれた。この「麻地酒」を現在まで受け継いでいるのが、「大分むぎ焼酎二階堂」なのだ。
二階堂酒造の創業は慶応2(1866)年、「喜和屋」の屋号で酒造業を始めた。銘酒「麻地酒」を製造していたが、第2次大戦中に原料不足のため休業を余儀なくされる。昭和24(1949)年に焼酎製造に転じて営業を再開。同39(1964)年に現在の二階堂酒造有限会社に組織を改める。現在社長を務める二階堂雅士氏は七代目となる。
▲蔵の内部
▲検瓶の様子
二階堂酒造では古来より天然醸造を行ってきたが、長く貯蔵すると味覚を損じ腐敗しやすいことから研究を重ね、モロミの上澄みを蒸留製成し、さらに原料をすべて「むぎ」にすることで独自の焼酎を生み出した。昭和49年にはむぎ100%のむぎ焼酎を発売し、むぎ焼酎ブームの火付け役となった。その中で、選び抜かれた麦と自然水を原料に、減圧蒸留機で製成される「二階堂むぎ焼酎」の独特の芳醇な香りとまろやかな舌触りは、他社の追随を許さず、昭和54年にはむぎ焼酎メーカーの先駆者として農林水産省より「第一回食品産業優良企業賞」を受賞している。二階堂酒造では、他から杜氏を雇うのではなく跡継ぎが杜氏となる。家内醸造で独特の製法を継承、その味を守り続けている。
二階堂焼酎はまず、はだか麦を蒸気で蒸しあげることから始まる。品質のよいはだか麦が原料として使われる。蒸した麦の一部で麹を作るのだが、麦100%の焼酎づくりにあたり、麦麹の製法は最も苦心したところだという。その後、一次発酵、二次発酵と発酵を繰り返した後、専用タンクで熟成される。この熟成によって、上質の味が生まれるのだ。そして、熟成したもろみは蒸留、ろ過、規定のアルコール度数に落としてむぎ焼酎のうまさが磨きこまれる。
二階堂酒造といえば、「吉四六」の銘柄を思い浮かべる方も多いだろう。「吉四六」さんというのは、大分の人なら誰でも知っている「広田吉右衛門」という人物のこと。ユーモアと奇行、そして機知と頓才で知られ、多くの小話が残され、今も大分県人の間で語り継がれているという。そんな人物の愛称を冠したのが「大分むぎ焼酎二階堂吉四六」だ。「二階堂むぎ焼酎」を基本に比較的永く貯蔵、じっくりと熟成させ特に香りを重視している。壷、そして壷型の瓶が趣ある雰囲気を漂わせる。
現在、二階堂酒造では最新設備の製造工場で焼酎製造を行っている。しかし、吟味した素材を用いて醸される手作りの味わいは変わることはない。また、この地の水の恵みに応えるため、早くから専用の廃水処理施設も完備し、美しい酒造りの環境を守る努力も続けている。
(左から)
・吉四六壷
・二階堂1.8L
・二階堂900ml
二階堂酒造ではまた、社会貢献を目的に、代々受け継ぎ収集してきた美術品を公開するために平成6年に財団法人二階堂美術館を設立。横山大観や川合玉堂、上村松園など、近世から現代の日本画を展示している。
営業時間午前9時~午後5時、毎週月曜日休館
入場料一般800円他
電話0977-73-1100
※掲載されている情報は取材日時点での情報であり、掲載情報と現在の情報が異なる場合がございます。予めご了承下さい。