酒蔵探訪 60 2010年4月
「さつま小鶴」
小正醸造株式会社
鹿児島県日置市日吉町日置3309
Tel.099‐292‐3535
https://www.komasa.co.jp/
▲小正芳史社長
薩摩半島のほぼ中央に位置する鹿児島県日置市。日本三大砂丘に数えられる吹上浜を有し、また、古くから薩摩焼の窯場もあり、焼物の町としても知られている。そんな日置に小正醸造が誕生したのは、明治16年のことである。弱冠18歳で前身の「小正商店」を立ち上げた小正市助氏が米焼酎を作り始め、以来120年にわたる「焼酎一筋」の歴史の幕を開けたのである。
小正商店が酒税法による免許を受けたのは明治38年。明治32年の自家用酒製造禁止発令から6年後のことで、当時鹿児島県内の同業者(免許場)は2,802を数えたという。その中で、よりたくさんの人に喜ばれる焼酎をと、市助氏は焼酎づくりに専念したという。内地米の値が上がっても、頑なに米にこだわる市助は朝鮮半島から米を仕入れるなどして米焼酎の製造を続けた。市助氏は、たった一人で米を踏み、「足がどうにかなりそうだった」というほど努力も重ねた。
▲樫樽専用神之川貯蔵庫「メローコヅルの里」
第二次大戦後、小正商店は現在の日置蒸溜蔵の母体となる焼酎の製造工場を再建した。戦前は「小正の米焼酎」として名を売った小正商店だったが、さすがに戦中・戦後は原料調達に苦労し、芋コッパで焼酎をつくっていたこともあったという。
そんな苦労も乗り越え、昭和28年7月、小正商店は有限会社小正醸造へと法人化を果たした。ちなみに「小鶴」という名前は昭和初期に誕生したもので、実は小正家に3人の「ツル」さんというお手伝いさんが働いていたことから付けられたという。
二代目の嘉之助は、杜氏に頼らない仕込みをと、自ら杜氏の技術を学ぶ。そして、その知識を生かし、焼酎業界では第一号となる自動製麹機を開発するのである。嘉之助のアイデアを元に作られた自動製麹機は「箱型通風装置」という名前で昭和34年に誕生し、この機械によって労働時間の短縮や経費の削減、さらには汚染度も抑えることができるようになった。杜氏制という旧態依然としたシステムを打ち破ったこの機械は、業界に大きなインパクトをもたらしたという。
小正醸造が発想力に長け、研究の労を惜しまないことを示すエピソードがもう一つある。嘉之助氏は各地の酒造りを熱心に学んでいたが、それを応用したのが「メローコヅル」である。長期貯蔵の米焼酎というコンセプトと、名前の通りメロウな味わいが受け、今日のロングブランドに成長した。これはウイスキーやブランデー、中国のマオタイ酒などにヒントを得たもので、鹿児島の他の業者が関心を示さない中、一人商品化に乗り出したものだ。周囲からは道楽呼ばわりをされたこともあったという。
また、昭和33年にはリキュール類の製造免許も取得。ハブ酒や梅酒といった商品の開発、製造も始めている。思えば常に時代を捉え、さらに次の時代へと視点を向けて歩き続ける小正醸造の姿勢は、明治の創業以来変わることがない。
(左から)
・メローコヅル エクセレンス
・武骨者
・一燈照隅
・小鶴黄麹
・小鶴くろ
そして昭和57年、嘉之助の長男である芳史氏が社長に就任。その経営スタイルは人財に重きを置いている。高いスキル、価値観を持った人によってこそ会社の成長は成される、と芳史氏。代々受け継がれてきた商品開発力をさらに強化し、他社にはない魅力的な商品を次々に世に出すとともに、それぞれの酒質の向上にも一層研鑽を重ねている。芳史氏の努力は、熊本国税局酒類鑑評会において2年連続代表賞受賞という快挙を成し遂げている。
豊富な商品ラインナップの中からお薦めしたいのは、まずは「小鶴くろ」。伝統の黒麹仕込みと独自の蒸溜法で昔ながらのコクのある旨さが特徴。また、地元の契約農家が栽培した黄金千貫を日本酒づくりに使われる黄麹と天然水で仕込んだ「小鶴黄麹」は、やさしい香りとほのかな甘みが広がる本格芋焼酎として人気だ。さらに原酒をかめ壷でじっくり貯蔵させた「一燈照隅」や、国産二条大麦を原料に常圧蒸溜でその旨みを最大限に引き出したという常圧麦焼酎「武骨者」など、個性と魅力あふれる焼酎ばかり。そして、厳選した米焼酎を長期貯蔵した「メローコヅル」は昭和32年の発売以来高い人気を得続けている。「メローコヅル・エクセレンス」は、モンドセレクションで最高金賞も受賞した。
18歳という若さで商売を立ち上げた初代市助氏、熱意と創意工夫で社の方向付けをしたとも言える二代目嘉之助氏、そして現社長の三代芳史氏。焼酎一筋に120年を超える歴史を積み重ねてきた小正醸造は、今も時代と次代を見据え、その道を進み続けている。
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