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酒蔵探訪 65 2010年9月

「月桂冠」 月桂冠株式会社


京都市伏見区南浜町247番地
Tel.075‐623‐2001
https://www.gekkeikan.co.jp/

▲大倉治彦社長

 月桂樹の葉を編んで作った冠は、古代ギリシャより勝者や勇者を称えるものとして用いられ、今日もなお、マラソンをはじめスポーツ競技の勝者などに授けられている。そんな勝利と栄光のシンボルを酒名、そして社名とする月桂冠は、古くより歴史の舞台となってきた京都市南部、伏見にある。  創業は寛永14(1637)年。屋号は「笠置屋」、酒の名は「玉の泉」だった。当時、酒どころである灘の酒屋は、樽廻船を使い江戸市場へ大量流通を行っていたが、笠置屋は内陸に位置する伏見で、旅人や地元の人達を中心に販売していたという。記録によると1657年、伏見には83軒の酒屋があったそうだが、江戸時代の酒屋も決して楽な商売ではなく、米不足による生産量の制限や厳しい税の取り立てなどにより、明治元年に当時より伏見に残っていた酒屋は笠置屋ともう一軒だけだったそうだ。

 そんな中で11代目大倉恒吉の時代、笠置屋は大きく伸長する。明治22 (1889)年に東海道線が開通して東京までつながったことで輸送が改善され、また明治20年代後半から新聞等での広告を始めたこと、そして明治38(1905)年に酒名を「月桂冠」にしたこと、さらには酒造研究所を創設して酒造りに科学技術を導入、その成果により防腐剤入らずの瓶詰めを発売したことなど、さまざまな革新と努力 で、飛躍的に販売量を伸ばした。明治44(1911)年には、最初の全国新酒鑑評会で第1位となり、まさに勝利と栄光を獲得した。

▲濠川から見る月桂冠内蔵

 昭和に入り、社名を「株式会社大倉恒吉商店」、「大倉酒造株式会社」と改め、昭和36(1964)年には四季醸造システムの酒蔵も稼動させ、生産力が大幅にアップ、売上トップに立った。昭和62(1987)年、創業350年、そして会社設立60年という節目を機に、社名を現在の月桂冠株式会社とした。現在も新規技術の導入・活用を図りながら、高品質の酒造りを目指している。現社長である大倉治彦氏は、14代目当主となる。

 月桂冠は、「Quality・Creativity・Humanity」を基本理念に、「健をめざし、酒(しゅ)を科学して、快を創る」というコーポレートブランドコンセプトに基づき事業活動を展開している。基本理念の「Quality」はお客様が満足できる最高の品質、「Creativity」は常に創造し革新し続けること、「Humanity」はお客様の満足を実現するために社員の能力を高めるとともに人間性を重視することを意味しているという。核となる清酒事業の深耕と拡大、清酒以外のアルコール事業の強化・拡大、さらに海外事業の推進やアルコールにとらわれない新規事業の開拓・展開と、次代を見据えた事業戦略を掲げている。

 特に、海外事業の推進には力を注いでおり、2009年には約1700キロリットルの日本酒を世界各地へ輸出、韓国や台湾、ベトナムなどの東アジアやフランス、イタリアなどのヨーロッパでも順調に輸出量を伸ばしているという。アメリカには米国月桂冠株式会社を平成元年に設立、2009年には約4200キロリットルを生産している。

(左から)
・大吟醸 鳳麟
・ヌーベル月桂冠
・ジパング
・月桂冠糖質ゼロ

 そんな月桂冠の商品は、実に多彩である。最高級クラスの大吟醸「鳳麟」は、山田錦と五百万石を50%まで磨き、低温でゆっくり発酵させることで香りと旨みを引き出した酒。モンドセレクションの最高金賞を5年連続で受賞している。やはりモンドセレクションで金賞を受賞しているのが「ヌーベル月桂冠」。軽快な味と洗練された香りで、まさに古いものを基とした新しさを意味する「ヌーベル」にふさわしい。さらに、発酵により生まれたキメの細かい泡と爽やかな喉越しが人気のスパークリング清酒「ジパング」や、糖質を極限までカットした「月桂冠糖質ゼロ」など、消費者のニーズをとらえた商品も揃える。

 京都伏見は、坂本龍馬ともゆかりが深い。実際に龍馬と月桂冠との間にも少なからぬ縁がある。龍馬の足跡が残る伏見の地で、月桂冠はやはり日本の未来、そして世界にも目を向け、酒造りを続ける。

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