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酒蔵探訪 66 2010年10月

「白鶴」 白鶴酒造株式会社


神戸市東灘区 住吉南町4丁目5-5
Tel.078‐822‐8901
https://www.hakutsuru.co.jp/

▲嘉納健二社長

 灘の酒の歴史は古い。室町時代の記録によれば、既に元弘・建武の昔(1330年頃)から行われていたという。水や米、そして気候風土、さまざまな面で酒造りに適した場所であること、そして丹波杜氏が大切に伝えてきた醸造技術もまた、灘を酒どころとして確立させ揺るがぬ人気を得続けてきた所以であろう。江戸時代には上方から送られる「下り酒」の中でも、とりわけ灘の酒はコクがあり、かつ〝くどさがなくすっきりとキレがあった〟ことから、江戸っ子には人気だったという。

 そんな灘の酒を代表する銘柄の1つである「白鶴」は、寛保3(1743)年、灘五郷の一つである御影郷に創業した。「白鶴」の酒銘を用いるようになったのは延享4(1747)年から。当時、「鶴」の名を冠した酒がたくさんあった。鶴の中でも清楚な丹頂鶴をイメージして「白鶴」と名づけた。鶴が力強く飛翔する姿をデザインしたシンボルマークは、昭和54年、業界に先駆けてCI(コーポレート・アイデンティティー)を導入した際に設定されたもので、日本のCIの代表例の一つに挙げられている。

▲白鶴酒造資料館

 白鶴酒造は現在、3つの蔵を有する。伝統的な醸造方法を生かし、熟練と経験を要する大吟醸酒や純米酒などを醸造する蔵、最新技術を駆使した醸造方法で清酒を醸造する蔵、その両方を併せ持ち特定名称酒とレギュラー酒を醸造する3つの蔵で、伝統の技と最先端のテクノロジーを組み合わせ、個性豊かな酒を造り続けている。また、醸造蔵の他に精米工場、貯酒倉庫、ボトリング工場などの生産設備を持ち、合理的な酒造計画を基に清酒を醸造している。

 嘉納健二代表取締役社長は、時代の変化を鋭敏に感じとり、常にお客様の立場で「おいしさ」の追求と安心・安全な「ものづくり」を基本に信頼されるブランド育成に努めたいと述べている。2世紀半以上にわたり守られ、培われてきた伝統と技術。そして常に一歩先を見つめ、可能性を追求する姿勢。伝統だけに頼ることなく、磨き続ける技があってこそ、時代が変わっても愛される酒が生まれるのだ。

 消費者のさまざまなニーズに応え、白鶴では実に豊富な商品を揃えている。後述の「白鶴錦」や「特別純米酒 山田錦」は、それぞれ米の特長を生かして醸した味わい深い酒だ。また、「上撰 白鶴」は、飲み飽きしない白鶴伝統の味。パック酒やサケカップも多彩で、好みと飲み方とに合わせて選べるのも嬉しい。

 白鶴では、社会貢献活動にも積極的に取り組んでいる。昔ながらの酒造工程を保存し、わかりやすく展示した「白鶴酒造資料館」。「白鶴美術館」では、中国古代の陶磁器や書画など、第一級の美術品、工芸品のコレクションを展示している。私立灘中学への設立から現在に至るまでの支援やベルマーク運動など、教育活動への貢献も行っている。また、東京地区では「銀座スタイル」と題し、酒を知り、楽しむためのさまざまなセミナーやイベントも開催している。

(左から)
・白鶴錦
・特別純米酒 山田錦
・上撰 白鶴

 「白鶴錦」という酒米がある。酒米の王者とも呼ばれる「山田錦」の母に当たる品種「山田穂」と、父にあたる品種「渡船」とを改めて交配させ、山田錦の兄弟品種を誕生させたのである。

 2007年には、この白鶴錦で醸した「超特撰白鶴、純米大吟醸 白鶴錦(720ml瓶詰)」を数量限定で発売した。また、白鶴の東京支社ビル屋上に食育活動の一環として田んぼを作り、この『白鶴錦』を栽培し、小学生の体験学習の場としている。

 「時をこえ 親しみの心をおくる」。白鶴のスローガンは、社員一人ひとりが酒造文化の継承者としての心を持ち、食文化の将来を見据え、研鑽・努力する姿勢を表わしているという。土地の恵みや伝統の技を磨き、人々に愛される商品を提供する。その心こそ、白鶴が創業以来守り、伝え続けてきた第一のものなのかもしれない。

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