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酒蔵探訪 68 2010年12月

曙酒造合資会社


河沼郡会津坂下町字戌亥乙2番
Tel.0242‐83‐2065
https://akebono-syuzou.com/

▲鈴木孝教氏

 河沼郡会津坂下町。恵隆寺の「立木観音堂」や、享保年間に建てられた「旧五十嵐家住宅」など、国の重要文化財に指定された史跡も多いこの町は、歴史の折々に地域における重要な役割を果たしてきた場所だ。

 その会津坂下町の町中に、明治37年に創業したのが「曙酒造」の前身である大黒屋酒造店である。『枕草子』の冒頭、「春は曙、ようよう白くなりゆく山際・・・」から引いたという「曙」の銘柄は、文字通り夜がほのぼのと明けて行く様をイメージしている。「曙」と同様に、夜明けを意味する「天明」の銘柄で曙酒造を知る人も多いだろう。従来の銘柄である「曙」に加え、この「天明」や「一生青春」といった銘柄を誕生させ、この蔵は次代のために新たな扉を開いたのである。

▲貯蔵蔵内部

 曙酒造では創業以来、南部杜氏による酒造りが続けられてきた。「古き良き時代の酒造り」を継承してきた蔵では、時代の変化、そして日本酒をとりまく環境の変化に伴い、これから進むべき道を模索していた。特定名称酒の比率が高まる中で、当時の曙酒造ではレギュラー酒がほとんどだった。杜氏制を廃止し、自ら酒造りを手掛けようという大きな決断を下したのは、12年程前のことだった。「何よりも、杜氏まかせにせず、自分達がおいしいと思って飲める日本酒を作りたい。それをお客様に伝えることが大事だと思ったのです」。そう話すのは5代目となる代表社員の孝さんを夫婦で支える鈴木孝教さん。孝教さん夫婦は、福島県が行う清酒アカデミーの第3期生として酒造りを学び、その卒業時に作った酒には「一生青春」の名を付けた。いつまでも青春の心を忘れずに挑戦し続ける、そんな思いが込められている。その後、全国の鑑評会での連続金賞受賞など、家族と社員による体当たりともいえる酒づくりは大きな実を結ぶ。さらに、より品質と個性を重んじる酒「天明」の誕生もまた、曙酒造の人気を高めるきっかけとなった。「天明」はそのこだわりから、品質保持のため一箱ずつ酒販店にクール便で発送するシステムをとっている。

 この蔵の酒造りは、決して新しい機器や特別な技術を駆使するものではない。むしろ、昔ながらの蔵には昔のままの道具も数多く残り、そんな道具を工夫して使っているものも少なくない。大切なのはまじめに取り組むことなのだ。「昔から品質第一に、材料は惜しまず地元に愛される酒造りを目指してきました。それはずっと変わりません」と、孝教さんは言う。「五百万石」や「美山錦」、「亀の尾」といった米は、地元で造られる。冷害の年に、コシヒカリの田んぼで元気に育っていた米を元にした「瑞穂黄金」は、他にはないここならではの米だ。首都圏などから消費者を招き、一緒に田植えや稲刈りを体験してもらうイベントも行う。「坂下の自然や空気を体感してもらうのが目的です。この場所で、この自然からうちの酒が生まれるのだということを感じていただきたい」。

(左から)
・亀の尾
・一生青春
・天 明

 曙酒造が早くから力を入れたのは、商品管理である。「蔵元が酒販店より貯蔵設備が劣るようではいけないと思ったのです」と、サーマルタンクの導入や冷蔵庫の充実を図り、特に夏場の商品管理に力を注いだ。発泡ウレタン加工を施し全体が冷蔵庫となった貯蔵蔵では、瓶詰めされた酒が年代別に整然と積まれていた。この広い蔵を見るだけで、曙酒造が人一倍酒を大事に思う心が伝わってくる。

 「これからはまた、新しい曙酒造の時代になっていくのだと思います」と、孝教さん。若い世代の蔵人も加わり、さらに良い酒造りを目指し頑張っているという。「アルコール離れや人口の減少など、時代の流れは避けることができないものです。しかし、その中でいかにお客様に酒のおいしさを伝え、酒を好きになってもらうように努力するか。それが私達酒蔵の仕事です。これからは、改めて地元の連携なども考えていかなければならないと思います」。

 「天明」は、米や仕込み、絞りの違いなどにより、実に豊富な商品ラインナップが揃う。それはやはり、「一生青春」を目指し挑戦を続ける蔵だからこそのことだろう。空が白み、清々しい静けさが漂う夜明け。曙酒造は、今日という日に、そして明日からの未来に希望を感じさせる蔵だ。

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