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酒蔵探訪 71 2011年3月

「会州一」山口合名会社


会津若松市相性町7-17
Tel.0242-25-0054/Fax.0242-24-6533

▲山口佳男社長

 会津若松市相生町。会津藩城下町の名残を残す界隈に、趣のある蔵がある。会津でも屈指の歴史を持つ酒蔵として、360年以上にわたり「会州一」を醸してきた蔵であり、平成10年に会津若松市の歴史的景観指定建造物にも指定されている。平成18年には地元生協がコミュニティ施設「会州一蔵」としてオープン。会津の民芸品や名産を販売するフロアや喫茶店、さらに貸しギャラリーなどがあり、市民や観光客で賑わう。「会州一」は現在、その「会州一蔵」に隣接する一角で酒造りを行っている。

 「会州一」の創業は寛永年間。会津藩の初代藩主保科正之の引き立てで会津に入り、酒造りを始めたという。現在の山口佳男社長は、初代泉屋儀兵衛から数えて15代目に当たる。昭和の初めから、各種鑑評会で高い評価を得てきた酒蔵で、「会州一」の名の通り、会津の酒を代表する酒の一つとして名を馳せてきた。

▲会州一蔵

 ところが平成17年、関連会社である温泉ホテルの経営が行き詰まり、担保となっていた蔵を手放すことになった。山口社長は酒造りを廃業するつもりですべてを整理、蔵の解体もほとんど決めていたという。そこに、歴史ある建物を残し、酒造りも続けてほしいという地域の要望などがあり、2年のブランクを経て再度「会州一」を造ることが決まったという。

 かつて、蔵は1,500坪の敷地があった。しかし再開にあたり、使える敷地は60坪ほど。事務所や駐車スペースなどを除いた45坪で酒造りが行われることとなった。蔵に入れられるタンクの本数や機械の大きさにも限りがある。「各地の酒蔵を見学するなど、酒造りを再開するまでの間、いろいろと研究しました」と、山口社長。

 研究はハード面だけではなかった。休業する以前、「会州一」は新酒鑑評会入賞の常連だった。「しかし、休業していた2年間で、周囲の蔵元はレベルアップしていましたし、また、蔵の狭さという制約もあって、同じ造り方でというわけには行きませんでした」。以前から蔵で働いていた櫻井光治氏を杜氏として迎え、酒造りを一から見直すこととなった。「『いいものを造ろう』というコンセプトは一緒。それをさらにレベルアップすることを目指しました」。

 以前から原料米にこだわってきたが、精米歩合を全体で5%上げた。また、純米大吟醸は美山錦から山田錦に変えるなどの見直しも行った。さらに、吟醸酒や本醸造酒の製造をやめ、人気の辛口や純米吟醸の割合を増やすことにした。山田錦を40%まで精米して仕込む純米大吟醸は、米の柔らかな味わいが伝わる辛口の酒。うつくしま煌酵母を用いた純米吟醸酒は、柔らかなうまみとすっきりした切れが特長。そして定番の辛口酒も人気だ。

▲純米大吟醸/純米吟醸酒/純米酒/辛口

 「何せ、タンクに限りがあるので、いつ、何を造るか、きちんと計画を立てなければなりません。持ち越しを出すわけには行きませんから。逆に品薄になってお客様や小売店に迷惑をかけてしまったりすることもあります」。今シーズンの初しぼりなどの季節限定酒は、早々に売り切れてしまい、営業に回っていた社長にあわててストップがかかったこともあったという。以前からの「会州一」のファン、新たに始めた頒布会、そして新しい「会州一」のファンも加わり、徐々に「会州一」の人気は回復してきた。そして、新たな造りが始まって3年目となった昨年、全国新酒鑑評会での金賞、さらに福島県知事賞と受賞が重なり、「会州一復活」は確かなものになった。「蔵に関わった人、そして「会州一」を応援してくださったすべての皆さんのおかげで受賞できたのだと思います」と、櫻井杜氏。

 「これからも、できる範囲のことをやっていくだけです」と、社長は言う。小さな蔵だからできること、そして「会州一」らしい酒造りを淡々と続けていければと。取材の日、小さなタンクからは、上品でフルーティな香りがたっていた。会津はこの冬、例年より多い降雪に見舞われ、〝会津の冬〟らしい雪景色を見せてくれた。新たなスタートを切って4年。会津で一番の歴史を残す「会州一」は、確実に前に歩を進めている。

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