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酒蔵探訪 74 2011年6月

「清酒八鹿」
「大分麦焼酎 銀座のすずめ」
 八鹿酒造株式会社


大分県玖珠郡九重町大字右田3364
Tel.0973-76-2888
http://www.yatsushika.com/

▲麻生益直社長

 大分県玖珠盆地。九州の屋根と言われる九重連山に囲まれたこの地に、八鹿酒造は蔵を構える。山々から湧き出る清らかな水に恵まれ、また、宝泉寺や筋湯など九重九湯と呼ばれる温泉群でも知られ、名水と名湯、さらに名瀑、名山の地なのである。

 八鹿酒造の創業は元治元(1864)年。初代麻生東江が「舟来屋」を起こしたのが始まりである。しかし、当時は水利が悪く、村人を救うためにもと手がけた灌漑工事が難航し、2代目の時代には山林原野、そして酒造権利を手放してしまったという。

 しかし、その麻生家に3代目として養子に入った観八が明治18(1885)年に酒造免許を買い戻し、舟来屋・麻生酒造を再興した。この観八の時代に作った酒は、地元の名瀑「龍門の滝」にちなみ「龍門」と名づけられていたが、やがて評判が高まり、観八は杜氏、仲摩鹿太郎と自分の名前から1文字ずつとって「八鹿」と改名する。酒づくりに精進し、家業の再興を果たしたお互いを称えあってのことだった。その後、観八は先代の果たせなかった灌漑事業にも着手、完成させるとともに、国鉄久大線敷設という大事業にも尽力する。

▲蔵外観

無借金の堅実な経営を貫いた4代目・益良、鉄筋コンクリートの空調設備を持つ製造蔵を造るなど酒蔵の画期的な進化を果たした5代目・太一によって、八鹿は銘酒の名を不動のものとする。

そして、平成10年より、6代目として蔵を取り仕切るのが、麻生益直氏である。益直氏もまた、八鹿酒造に大きな変革をもたらした。昭和60年頃より本格焼酎ブームの余波もあり、清酒の消費量に翳りが見え始めた。そこで益直氏が考えたのが、銀座で粋に遊ぶ本物を知る大人たちに支持される洋のスタイルを持つ焼酎である。それこそ今や八鹿酒造の主力商品ともなった「銀座のすずめ」である。かつて銀座で時を忘れ、友らと粋に酔い、語り、夜を明かした粋人たちを「すずめ」になぞらえたというこの焼酎は、厳選された材料などすべての面でワンランク上、こだわりぬいて作られた。

穏やかな香り、柔らかな舌触りののみ心地で、焼酎ファンのみならず広く酒通に愛されている。

(左から)
・笑門八鹿
・八鹿大吟醸
・金賞受賞酒
・すずめ
・むぎっ娘
・なしか

 八鹿酒造では、酒造りの精神は武士道に通じると考えている。常に神が傍らにいて、その心を見ている。穏やかで平和な心、愛情を持って接しなければ、良い酒は造れない。代々そんな思いを受け継ぎ、八鹿酒造の酒造りは行われてきたのだ。

 八鹿の酒は九州では珍しい淡麗辛口だ。それは、5代・太一の時代に生まれた味で、世間の評価も高かった。しかし、現社長は時代の変化を察知し、さらに洗練された酒を目指し、挑戦を続ける。「酌めども尽きぬ酒」こそが理想の酒だという。

 太一が誕生させた「笑門 八鹿」は、〝普通酒にして銘酒〟の評価を得た正統派な味だ。一方「純米大吟醸 源」は香りと旨みが絶妙なバランスの大吟醸。食中酒にもおすすめだという。他に、昨年全国新酒鑑評会で金賞を受賞した「平成22年 八鹿 金賞受賞酒」。焼酎では、「銀座のすずめ琥珀」がモンドセレクション蒸留酒部門において、平成19年の初出展より5年連続の最高金賞受賞に輝いている。また、「銀座のすずめ」以外にも麦焼酎「むぎっ娘」や、芋焼酎「阪神なしか!芋」など、焼酎も個性的なラインナップだ。

 創業以来、八鹿酒造は常にまじめに酒造りと向き合い、時代に合わせた変革を遂げてきた。また、地元の隆盛を目指し、公共事業などにも積極的に関わってきた。今までも、そしてこれからも蔵の歴史とともに、地元の歴史を築いていくに違いない。

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