酒蔵探訪 75 2011年7月
「銀滴」王手門酒造株式会社
宮崎県日南市北郷町大藤甲898-8
Tel.0987-21-7717
http://www.ohtemon.jp/
▲國貞章太郎社長
宮崎県日南市飫肥(おび)。日本の近代外交の礎を築いた明治の外交官、小村寿太郎を輩出したことでも知られるこの地は、南北朝時代に城が築かれたといわれ、また、戦国時代には島津家と伊東家の領土争いが繰り返されるなど、非常に古い歴史を持つ。江戸時代には飫肥藩5万1千石の城下町として栄え、その面影を残す端正な町並みは今も地域住民の努力により守られ、九州の小京都として多くの観光客を集めている。王手門酒造の社名は、ここの飫肥城の大手門からとっている。
王手門酒造は、明治28(1895)年、その飫肥の地に創業した。創業者、門下一平が門下酒造を創業、焼酎造りを始めた。大正時代にかけては、蔵の近くにあった恵比寿様にあやかり、「恵比寿」という名の焼酎を売り出していたそうだが、ある日、蒸留器から太陽の光を受けて輝きながら滴り落ちる原酒を見た親戚筋の人が「焼酎は銀のしずくじゃないか」と言ったことから、「銀滴」に改名したという。
▲蔵外観
▲昭和10年献上
昭和10年、「銀滴」は天皇陛下に献上され、また、その後も幾度となく酒類鑑評会で優等賞に輝いている。社に残る天皇陛下への献上品を用意する様子が写された写真には、物々しい様子の従者らの姿が写され、その名誉の大きさが窺われる。
そんな歴史ある「銀滴」は、現在「しろ銀滴」として、今に確実に受け継がれている。「銀滴」の味の原点はこだわりぬいた原料と蔵人の焼酎への情熱に尽きる。南国で育った黄金千貫の豊潤な旨みが生きている。また、時代のニーズに応え、黒麹で仕込んだ「くろ銀滴」や、地元特産の紅芋を使用した「あか銀滴」など、商品の幅も広げている。さらに、創業当時の味を昔ながらの製法で復活させた「銀滴復刻版」は、力強い香りと濃厚でまろやかなのど越しが特徴だ。
麦焼酎「むぎ銀滴」や「隠し蔵の三悪人」、常圧・減圧蒸留2種類の芋焼酎原種をブレンドした「不阿羅王(ファラオ)」など、こだわりの味、そして特徴あるネーミングの商品も人気が高い。
「王手門酒造」に社名を変えたのは平成7年10月。平成17年9月には、創業の地である飫肥を離れ、より清冽な水や気候を求め北郷町に蔵を移転した。
北郷町は、日南海岸の奥座敷とも言われる北郷温泉や豊かな森、渓谷など自然に恵まれた地である。新しい蔵は旧蔵から車で15分ほどの場所にあるが、山間を流れる清流のほとりにあり、気候も穏やかで焼酎づくりには最高の場所だという。
(左から)
・隠し蔵の三悪人
・しろ銀滴
・超不阿羅王
「焼酎とは楽しく、おしゃれに、ステータスを感じられるものでありたい」と、王手門酒造は考える。日本が世界に誇る蒸留酒として、もっと多くの人にその良さを知ってもらいたい。そのために品質にこだわり、焼酎文化の裾野を広げたいと。歴史ある蔵としての伝統を守りつつ、独自の切り口でさまざまな視点での焼酎の魅力をアピールする。
飫肥城の大手門は昭和53年に、地元の飫肥杉を用いて復元された。また、江戸時代の御殿を復元した「松尾の丸」、昔のままの石垣など、近世城郭の魅力を今に伝える場所となっている。この蔵は、そんな飫肥城の大手門のように歴史の面影を残しつつ、今の時代に生きている。
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