新・酒蔵探訪 21 2013年8月
合資会社 大和川酒蔵店
喜多方市字寺町4761
Tel.0241-22-2233
http://www.yauemon.co.jp/
▲佐藤彌右衛門社長
「東日本大震災の直後、思い出したのは祖父の言葉でした」。喜多方市の大和川酒造店の9代目、佐藤彌右衛門社長は話す。「『人は一生のうち、天変地異や大恐慌、戦争など大きな出来事に出合うもの』ということを言われたことがありました。祖父は明治生まれで、日露戦争や大東亜戦争、関東大震災などを経験してきた人でした。そして、『酒屋には水がある』と」。その言葉を思い出し、佐藤社長は落ち着きを取り戻したという。「冷静になり、やれることをやるだけだと思いました」。寛政2(1790)年創業。200年以上の歴史を持つ蔵は、その年月の間に戦争も地震も火事も経験した。それでも本質として変わることなく酒造りを続けてきた。酒を醸す豊富な水は、事あるごとに蔵の、そして地域の人を救ってきた。佐藤社長は震災後、空いている一升瓶に水を詰め、県内各地に届けたという。
蔵の被害は軽微なものだったが、原発事故による風評には驚かされたと佐藤社長。「海外では、私達の想像以上に原発事故は大きく報道されていました」。そして佐藤社長は、改めてこの地で酒を造ることの意味を考えたという。「酒は水と米、風土、そして技術があってこそのもの。その土地の恵みを利用させてもらって成り立つ、地域に生かされている〝地場産業〟だということを、改めて強く感じました」。
『地酒』という言葉は昭和50年代に生まれ、当初は灘などのメジャーな酒どころや大手メーカーの酒に対して、まさに〝地方の酒〟として位置づけられた。しかし、間もなく一部の地酒に人気が集中して、いわゆる〝幻の地酒ブーム〟が訪れ、地酒は地方の銘酒として確固たる地位を得た。地方の魅力ある酒が、次々と全国区となっていった。
佐藤社長は、そんな『地酒』の中に、さらに『郷酒』という括りを設ける。「本来、地酒はその土地の水と米を使い、その土地で作るものだと思います。私はそのことにこだわり続けていきたい」。それこそが、その郷の酒、『郷酒』だという。自分の蔵で造る酒には、地元で作る安全・安心な米を使いたいという思いから、昭和50年代後半には熱塩加納村の有機農家との連携を図り、地元の無農薬米での酒造りに取り組む。「農薬の空中散布が当たり前だった時代ですから、周囲の反発もありました」。大和川酒造店の米にこだわった酒造りは、全国に先駆けてのものだった。一升瓶のレッテルに米の生産者の名前を入れると、農家の人にも喜ばれたという。
「レッテルは、その酒についての情報を飲み手に伝えるものです。酒を飲む人が、レッテルの向こう側に生産者や、その田んぼの風景を感じる。そんな顔の見える関係を築きたいと思ったのです」。平成9年、佐藤社長は農業法人「大和川ファーム」を設立した。現在、自社農園では大吟醸の原料「山田錦」をはじめ、「雄町」、「五百万石」などを栽培している。
(左)純米大吟醸 いのち
(中)純米大吟醸 酒星眼回
(右)大吟醸 山田錦
そんな米にこだわって造られた酒の代表とも言えるのは「純米大吟醸 いのち」だ。農薬や化学肥料を排し、大和川の米への思いが込められている。自社田自社栽培「山田錦」100%使用の「大吟醸 山田錦」、減農薬無化学肥料栽培米仕込みの「純米大吟醸 酒星眼回」などの大吟醸はもちろん、「弥右衛門」シリーズなども含め、米の魅力を存分に伝えてくれる酒が揃う。
震災後は、会津の自然を利用したエネルギーの自給を目指す「会津電力」構想を呼びかけるなど、これからの会津のあり方にも目を向ける。「酒屋として何ができるか、何をするか、時代をよく見て、柔軟に対応することが大切だと思っています」。何百年もの間、蔵を営んできた先人達がそうだったように、今の苦労や変化もまた、長い歴史の中の一端となるのだ。だからこそ、酒造りの本質をきちんと守ることが大切だと佐藤社長は言う。
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